【日記】何の取柄もない人間がそれでも幸せに生きていくにはどうすればいいかという難問

 私は子供の頃から何のとりえもなく、褒められることがあまりない人生を送っていました。生まれた家は貧乏で、両親はちょっとおかしくて意思の疎通が取れませんでした。大人になっても社会に適応できず、底辺を這いずり回るように生きてきました。以上が私の自己評価です。

 私から見たらほとんどの人が、裕福な家庭(私から見たら)で正常な保護者から愛されて育ち、まともに生きている高スペックのすごい人たちなのです。それでも、「何のとりえもない人間が幸せになるにはどうしたらいいか」の問いに頭を悩ませているところを見ると、自分が恵まれた人間だと思っている人はあまりいないようですね。

勉強もスポーツも苦手で特にこれといった特技もない人が幸せに生きていくためにはどうすればいいと思いますか?という文章題に対する様々なお答え – Togetter

 自分なりの答えを見つけられた人たちも大勢いますが、たぶん人によって幸せを感じる方法は違うと思います。筋トレで幸せになれる人がいても、すべての人にとって有効だとは限りません。努力して体を鍛えたけど事故か病気で入院している間に元の体型に戻って、あの努力は一体何だったんだろうと不幸を感じる人もいます。

 何かアクシデントが起きても、好きで夢中で熱中している人はいいのです。また一からやり直せばいいと思えます。そこまで夢中になり切れてなくて、半分義務感で努力している層にとっては、予期せぬアクシデントは努力をやめるきっかけになってしまいます。

 夢中になれるものを探せるかどうかも、生まれつきの才能があるのかもしれませんね。自己診断ですが、私はたぶん幸福感を感じる脳の働きが鈍い人間です。一生懸命努力して何かを完成させたとしても、完成品を見たときの喜びが乏しく、なんだかつまらない物を作ってしまったと虚無感に襲われがちです。

 その虚無感に立ち向かうために、自分が作ったものが完成したらどんなにレベルが低くてもネット上にさらすと決めました。このブログで書いている文章もそうです。趣味と言うよりも、自分の精神状態を安定させるためのリハビリです。そのうち義務から夢中になればいいんですけどね。物事にハマるのってどうしたらいいのかなあ。

 私にも当てはまる事だと思いますが、自己評価が必要以上に低いのは、環境や能力ではなく本人の心の問題なのかもしれないです。物事の良い所を見ず、悪い所ばかり見ているから自己評価がどんどん低くなっていくのです。

 地球上に70億人も人間がいるんだから、自分より頭のいい人も悪い人も、スポーツが出来る人も出来ない人も、仕事が出来る人も出来ない人も、どちらも山のようにいるのです。能力のすべてを数値化して世界ランキングを作れない限り、自分と人を比べる行為は大いに主観が入るので無意味です。 

 Twitterやインスタで他人のキラキラした部分だけを見て羨んで自己卑下するのも無意味です。人のすごい所は素直に褒められる人間でありたいけど、それに比べて私は…と必要以上に落ち込む人間にはなりたくないです。順位が意味を持つのは特定の世界の最上位の人たちだけです。

※今検索したら出てきたけど地球の人口って2021年度で78億3700万人らしいですね。やばない?

ブログランキング・にほんブログ村へ